文化歴史

緑と水鳥の里 山口推進協議会

シリーズ(65) 行って見よう 山口の自然と歴史 
もっと知ろう!
久米川の古戦場と歴史⑤

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勢揃橋

柳瀬川

鎌倉古街道

久米川が戦場となったあまり知られてない戦とは、どんなものだったのでしょうか。中先代(なかせんだい)の乱や上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)の乱など、あまり聞き慣れないと思います。

中先代の乱とは、時は建武二年(1335)、鎌倉幕府滅亡の直後から北条氏の与党とする氾濫が各地で勃発、建武(けんむ)政府に対して起こした乱です。鎌倉時代の北条氏を「先代」(せんだい)といい室町幕府の足利氏を「当代」(とうだい)と呼ぶのに対し、鎌倉幕府再興を企画する北条高塒の遺児北条時行(ときゆき)を「中先代」(なかせんだい)といいます。室町幕府との戦が、女影原(おなかげはら/日高市)、小手指ヶ原、府中、井出沢(いでのさわ/町田市)などで続きましたが、京都から下ってきた援軍足利尊氏により撃破されました。

また、応永二十三年~二十四年(14161417)上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)の乱など、久米川は度々合戦場となりました。その後、永享十年(1438)鎌倉公方の足利持氏と関東菅領の上杉憲実の対立に端を発し、関東地方で事件や戦乱があり、禅秀の乱、永享の乱、結城合戦と続きました。室町幕府の安定の兆しが見えて来ましたが、相続や天皇との執権など難題が続きました。

東山道と鎌倉古街道は勢揃橋、八国山南(東村山)、久米川から並行して府中方面へ繋がっており分倍河原や相模方面など交通の要所でした。

利益中心的に考えた当時は、さぞ住民は辛かったと思います。土地に伝わる歴史を感じながら、のんびり散策は楽しいものです。

次号から山口の歴史深い社寺や歴史、石塔、云われについて探りながらお知らせします。先ずは勝光寺からです。お楽しみに!